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     *よりハッピーになる微笑む空間をつくりましょう!!*
     
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-・ 15の幾何学的性質―境界性― ・--

 

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まぶしい若葉や薔薇などの花々を楽しみながら、ウキウキ散歩したくなる、

ハッピー!!なこの頃です。皆様、お元気ですか。(*^o^*) 

 

いつも、ご購読ありがとうございます。(*^o^*) 

 

さて、前回は、「生きている構造」が

「生きているプロセス」から生まれてくると、

自ずと備わっている「15の幾何学的性質」の

STRONG CENTER:強い中心性」を取り上げました。

今回は、「BOUNDARIES : 境界性」について、見ていきましょう。♪♪(^o^)♪♪

(The Nature of Order Book1 p.158p.164)

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BOUNDARIES―境界

C ・アレグザンダー教授は、研究の初期段階において、

生きているセンターが、ほとんどいつも、

BOUNDARIES、境界によって強められていることに気付いていたとのことです。
(^_-)☆

 

写真のように、この強調について伝統的建築において見ることが出来ます。

一方で、多くの現代建築においては、それが欠けていることが、見て取れます。

 

例えば、写真のノルウェーの倉庫では、全てのスケールにおいて境界があり、その境界の繰り返しです。

一方、
1950年位からのコンドミニアム(分譲集合住宅)では、実際に、どのスケールにも、境界がありません。

 

 センター、中心の周囲を取り巻く境界バンダリーの目的は、二つあります。(^_-)☆

まず、中心、センターに焦点を当てることで、それ故に、センターを生むのに役立つのです。

それは、境界に取り巻かれているセンターを創造し、センターを強める力の場、
the fieldを形成することによります。(^_-)☆

もう一つは、それは、境界を越えた大きな広がり、世界、the worldの中で、仕切られているセンターを一体にすることです。

これを起こす為に、境界は、境界と中心を明確に区別できると同時に、それを越えた大きな広がりからも、

センターが区別され、仕切られているように保たなければなりません。
(^_-)☆

そして、また、境界を越えた世界とセンターを一体にする潜在力をも持っているのです。(^_-)☆

そうして、その境界は、一体にすると同時に分けることも出来るのです。

両方のやり方で境界を持つセンターは、より強烈になります。
(^_-)☆

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 境界は、様々な異なる幾何学的方法で、周囲を取り巻いたり、囲まれたり、分離したり、結び付けたりと複雑な働きをしますが、

境界を働かせるために必要な重要な特徴として、何においても、

「境界は、センターが境界を持つ為に、それに見合った大きさの規模である必要がある。」
ということです。
(^_-)☆

もしも、境界が、境界に取り巻かれるものよりもかなり小さいとしたら、

それはその働きをして、センターを形成することが出来ません。5cmのボーダー、縁取りは、90cm以上の場では、

その役割を保持することが出来ません。
室内で考えてみると、床と壁の間の境界は、15cm以上の巾木などが必要です。

腰壁は、90cmくらいで、床と壁の両方のスケールの規模の中で、より境界として効くのです。

 

 セーヌ川にとって、効果的な境界は、道路や壁、舗道、埠頭や並木を含んでいて、

ほとんど川自体と同じくらいの規模の何かなのです。

(こうしてみると、幹線道路の境界もセーヌ川の境界と同じように考えられて、その境界の適当な規模が解かりますね。
(^_-)☆

 

一般的にとても大きなものとして境界を考える必要があります。そして、それが、

真剣に考慮されるとき、この法則は、何かを組織化する方法において、とても大きな効果を発揮します。

 

例えば、口の境界としての唇は、口自体の大きさと同じくらいです。

建物の境界としてのアーケードは、その建物と同じくらいの規模の寸法です。

本当に雅量のある窓枠は、ひとつの窓の境界として深い抱きを持った窓枠で、その窓自体と同じくらいの大きさです。

湖の境界としての沼地も、柱の境界としての柱頭と柱台、全て、それ自体と同じくらいの大きさの規模の境界です。

 

全てのこうした場合、境界に取り巻かれるそれ自体と比べると、境界は、かなり大きく、度々驚くほど大きいのです。

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 更に、境界の大きさの重要性を意識しながら、結合、接合、両者の分離といったやり方が、

境界それ自体のセンターを形成していることが見えてきます。
(^_-)☆

 

例えば、写真の手書きの原本の境界では、境界は大きなセンターを形成していますが、

時にして、このように、そのフィールド自体と同じ程の大きさで、それを取り巻いて、

より大きな広がりとの間で、境界として働いているのです。

 

それらは、具体的な幾何学的なやり方で、成し遂げられています。

本質的には、それらは、センターを形成し、または、センターに換わるシステムを形成します。

そして、それは、境界が向かい合い、そして背け合うという両方においてです。

(それらは、境界の中で、内側の結び付きを形成し、外側とも結び付き、その2つの幅、スパンにおいて、

新しいセンターが生まれるのですね。
)

 

純粋な抱き合わせのいくらかの働きによって、時に、ぐんぐん育っていくツタのような、

あるいは何か交互の繰り返しといったモチーフをもって、境界は働いています。

そして、それは、最初はひとつの側と関係をもち、それからもう一方と関係をもち、

その動きの幅の間で、それ自体のセンターを形成しながら、くっついて両者の仕切りがあいまいになります。
(^_-)☆

 

別の例では、抹茶茶碗ですが、境界はシンプルな大きいタイルのようなもので作られていて、

その境界自体が、形や色によって、その同種の感じを形成していて、中心性を持っていますが、

その境界自体は、お抹茶を取り囲み、床の上に置かれた、あるいは手に取られて口元にあるという、

その外の世界との境界は、その茶碗自体がなっているのですね。

どうぞ、写真をご覧ください。

 

さて、この境界は、2次元の世界のみではありません。(^_-)☆

伊勢神宮の勝男木の端を保護する金属キャップは、線の終端の点のようで、1次元的です。

部屋の壁をざっと見ると、床、羽目板腰壁、左官壁、廻り縁、そして天井と平面的で2次元的です。

勿論、空間のボリュームとしても同じことが言えます。

シャルトル大聖堂の身廊の側端が、より小さなボリュームの連なりとしての側廊に囲まれています。

街中の建物は、アーケードにより囲われていて、その部屋はアルコーブを介して外と分けられて、かつ繋がります。

前述のセーヌ川の川辺もしかりですね。


 

更に、言えることは、単にこの境界が何かの外にあるということではなく、

この法則を繰り返し用いたならば、全ての部分が、全ての段階で、境界が用いられたら、

境界自体が、中心をもった構造となるのです。(^_-)☆あの抹茶茶碗や、ノルウェーの穀物蔵のように。

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 ひとつの法則のように見えるのは、異なるスケールで繰り返し繰り返し用いられる、

この驚くべき深さの浸透し広がっていく構造的特徴です。
(^_-)☆

ひとつの主だったバンダリーで何か完了してしまうという限定された考えではなく、

バンダリーの中にまたバンダリーがありそれが続いて繰り返されていくので、

すべて一緒になってその構造に浸透していき、微光を放つような感覚を伝えることが出来るのです。

 

 ざっとお話いたしましたが、より系統的に詳細がThe Nature of Order -Book1p.158

164に記載されていますので、ご覧になっていただけたら、ハッピー!!

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 最後に、私が暮らしている練馬区では、外環のみではなく、50
M幅の幹線道路の建設計画進行中です。

現都知事が推進しているのですが、地域との関係は形式的で、地権者とのみ水面下で交渉中といったところで、

そこをクリアーしたら、一気に計画を公開し、着工まで邁進する体制を整えてるようです。

道路設計建設は都、地下鉄駅との取り合いは東京メトロ、環境問題や駐輪問題は区と分かれ、

三者のどこにも当てはまらない問題が発覚し、区が担当することになるといった状態のようです。

公共工事による短期的経済効果のみで、30〜40年前に描かれた構想が、

多くの国で幹線道路が環境問題からほとんど地下化される今日、どうして実施されるのか不可解です。

そして、その構造も道路をセーヌ川としてみて、その境界たるや全く乏しいものです。

中央分離帯のスペースを少々削り、沿道緑地、側道、大木、中木、低木歩道など境界自体が中心構造を持ちながら、

自動車排ガス公害による喘息罹患率をさげる空気清浄の緑の効果を期待するならば、

少なくともその幹線道路幅と同じ位の境界が必要なのです。
(^_-)☆ 

用地が確保できなくとも、工場の換気窓をとる感覚で幹線道路そのものの壁と天井を、ほとんど上が開いたトンネル状にして、

その外側を緑地とすれば出来ないことはないのです。大木は人口地盤や、屋上ではなく、土壌に植えるとしてもです。

どうしても、事業共同体となると、その組織自体に中心が無く、よいものを生み出していくのは困難が伴うようですが、

そこに地元に暮らす人々の意見を生かしていく、その中心となる人達がいれば、ずっと良い状況になっていくでしょう。

 

同じ練馬区でも、練馬駅北口前のつつじ公園周囲は、

カネボウ紡績工場の頃からの大きなイチョウの並木など既存の構造を上手く生かして、しっかりとした境界となっています。

惜しいのは、つつじ公園から練馬文化センターへ到る境界は足りず、

建物に到っては、のっぺりとして地面との境界も空との境界もなく、ただどこにでも持っていける箱物が置かれているようで、

全く残念です。

 
 何か、どうしてそこが良いのか、どうしてそこが好きになれないのか、コミュニケーションする時、景観を評価したりする時、

何か異物を受け入れていかなければならない時、どうしたら軋轢なく、調和して一体となり、異物という感じがなくなるのか、

若しくは自然と受け入れられるようになるのか、こうした構造的特徴を生かしていただけたらハッピー!!

 

どうぞ、次回もお楽しみに(∩o∩)

 

リンク: http://www.smilingspace.com

 

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